あ
あー行きたくない行きたくない会社なんて行きたくないヨー。
※誰か彼に1tのトラックをぶつけてあげてください。
彼はよろこんで上司に電話するでしょう。
「申し訳ありません。全治半年はかかるそうで♪……はい、はい……」
スーパー女子中学生エンジニアの話
偶然、ネットでこんな記事を見つけました。
ゆとり世代が問う「好きなことをやって何が悪い!」(2):スーパー女子中学生エンジニアが、日本の教育を斬る - @IT
記事自体は古いですが、今の中高生のみんなにはぜひ読んで欲しい。
日本人の学校は計算力が身に付くけれど、創造性が養われない。
伊藤計劃『ハーモニー』
発想の新しさ。
それがこの作品にはある。
伊藤計劃の『ハーモニー』
初版(文庫版)の表紙は白一色のシンプルでいいデザインだった。
なのに映画化の関係か、以降の表紙にはアニメキャラが描かれるようになった。
(気に入らない)
冒頭がすでにこれまでの小説とは一線を画して斬新だ。
これだけで、これまでの小説に対するイメージが崩れた。
まだ、こんなことができるんだ。
小説は言語、文字で紡がれている。
文字には様々な意味、価値があるが、表現の広がりを見せてくれるような作品には滅多に出会えない。
特に最近の小説は、ジェットコースターみたいなギャップや意外性で読み進めさせるものばかり。
そんな中、僕の前に彗星のように現れたのが『ハーモニー』だった。
岡本太郎
岡本太郎を知っていますか?
1911年(明治44年)~1996年(平成8年)の芸術家。
岡本太郎の絵画は、なんだか新宿の巨大なビル群を見た時や、
初めて鍾乳洞に入った時のようだ。
自分はただの美術館にいるのに、圧倒的な世界に連れて行かれる。
目から意識が抜き取られ、絵の中に吸い込まれていく。
スマートという現代においても、いやだからこそ彼の存在はいまだに異彩を放っている。
それでいて考え方は常に先進的、むしろやっと時代が太郎に追いついてきたのではないだろうか。
「だれもが思う存分、四方八方に生きたらいいじゃないかと思う」
『孤独がきみを強くする』より
岡本太郎の言葉を浴びると、人ははっと気づかされる。
自分は何を焦っているのだろう。
そんなうじうじと考えるよりも、もっとやるべきことがあるだろうと。
胸を張れ、と。
自分自身に打ち勝って、生きがいをつらぬけ、と。
「個性」は人との違いを武器にした時に生まれる。
将来、生きていくために必要なこと。
使い古された言葉だけれど、「個性」だ。
学校では個性なんて育たない。むしろ、個性なんてなくなっていく。
なぜなら、個性とは「他人との違い」だから。
かといって、それは才能と言った、あるかどうかもよく分からないシロモノじゃない。
個性は「分かりやすい他人との違い」でないといけない
以前、インド在住のお母さんと話をした。
旦那さんも日本人なので、小学生の息子も日本人。でもインド在住だから、当然子どもの通っている学校はインドの学校になる。
「インドの学校に通っている」
これは他の同年代の日本人の子どもとは、大きく違う点だ。
そして、この違いを武器として使い始めた時、彼は「強い個性」を持ったスーパー小学生となる。
例えば、インドの学校模様を日本向けにSNSなどで発信したら、それを見たいと思う読者はたくさんいるはずだ。少なくとも、そこらへんの学生が書くブログなんかより何十倍も興味をそそる。
それは彼自身の才能とは関係ない。「インドの学校に通っている」。ただそれだけの「違い」がおもしろいのだ。
でも、ただそれだけのことが、人生を左右する。
その時はお母さんに「インドでの子どもの生活を普通にブログに上げてください」と勧めた。やがては息子自身にブログの続きを書かせて欲しい。塾やピアノに通わせるよりも何倍も将来の役に立つ。
個性とは「他人との違い」
そして個性を発揮するとは「その違いを使って何かの役に立つこと」。
十代の君たちのほとんどは、きっと個性を持っていないだろう。
個性という剣を作るには、自分という巨大な山に穴を掘り、加工できそうな鉱石を探さなければならない。
それは学校では学べない。自分で探すしかない。
何が好きで、何が得意で、自分はできるけれど周りにできる人が少ないことは何か。
まずは「100人に1人」の存在になることからはじめよう
とあるゲームのユーザー数が一万人なら、ランキング100位以内を目指してみる。
小説が好きなら小説を書けばいい、今どきプロでも売れないジャンルの小説を書いている人間なんて100人に1人だ。
もしくはyoutubeで動画をアップする。内容なんて何でもいい。面白くなくてもいい。週何回かアップするのを一年続けられれば、それで間違いなく100人に1人の存在になれる。
「インドの学校に通っている」なんてレアな個性なんてなくても、今挙げた100人に1人の武器を二つ作ればいい。これだけで「100×100=10000人に一人の人間」だ。
現実的に稼ぐために、100万人(100×100×100)に一人の存在となる方法 | 小さな組織の未来学
数学ができるやつなんてごまんといるし、苦手なやつもごまんといる。
ならば、みんなが勉強している間に、自分はせっせに自分の得意科目を伸ばす。もちろん、英語や社会ではない。けん玉でも、靴のコレクションでも何でもいい。
将来、本当に自分の思い通りの大人になるのはそんな、自分の個性を磨いたやつらなのだ。
コンビという関係(二人であることの強さ)
コンビは強い、っていうか羨ましいと思う時がある。
自分に近い、もう一人の自分。
比較対象であり、ライバルであり、仲間。
自分には必要で、でも一番消えて欲しいと思う相手。
そういうのって学校で生まれることが多い(お笑い芸人も学校時代の友達であることがよくある)のは、学校以外にそういう居場所がないからな気もする。
そんな存在を作れる場所があってもいいんじゃないか。
ついでだけれど、お笑い芸人は、ボケとツッコミという明確な役割の違いがある。
お互いの役割が別々なので、仕事の役悪分担も揉めづらいのもいい。
まあそれでも揉めそうだけど。
180度世界がひっくりカエル
昔、志村けんのコントで、家がぐるぐると回転するセットの中で大慌てする、というのがあった。
天井を歩ければ、世界が180度変わって見える。
自分の部屋の天井を歩き、照明をまたぐ自分を想像して、それだけでたのしかった。
大人になると、妄想の力は徐々に力を失って、テーマがないと考えられないようになっていく。
まるで、縦横無尽に広がる世界が区画整理されるように、決まった道しか歩けなくなる。
そんな時、誰かの言っていた詩を思い出す。
『自分の感受性ぐらい自分で守れ』
取り戻そう、自分の感受性を。
根拠なく自信を持っていたあの頃の自分を。
色眼鏡で見ている今の自分をひっくり返そう。
明日から二連休です、ゲコゲコ🐸